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「決意」

本日下記のようなメールを頂きました。

> 鈴木俊夫@鈴木歯科医院@名古屋です

> このような、話は、全く、存じませんでした。責任感の強い医師を亡くしたことは、とても、残念です。
>
> ***********************
> JR脱線事故 分けてもらった命に感謝…医師・長谷さんをしのぶ 2010年4月13日 提供:読売新聞
>
> 発生直後、懸命の救命活動
>
> 2005年4月のJR福知山線脱線事故の発生直後、現場に駆け付けて救命活動を行い、事故翌年に自ら命を絶った医師長谷貴將さん(当時51歳)をしのぶ集いが11日、宝塚市内で開かれた。事故で助けられた負傷者や医師仲間ら約50人が、当時を振り返り、感謝の気持ちを伝えた。

> 滋賀県内の病院で救急救命センター副センター長だった長谷さんは、発生から4時間後、同僚と救急車で現場へ。1両目のすき間に潜り込むなどし、負傷者の処置にあたった。事故後、講演などで多忙となり、06年5月、命を絶った。

> 会場には生前の写真が掲げられ、負傷者らが長谷さんへの思いを語った。

> 1両目で重傷を負った大阪府箕面市の会社員吉田恭一さん(44)は、車両に左足などを挟まれ、骨折した。そこに長谷さんが現れ、クラッシュ症候群を防ぐため点滴処置を受けた。「礼儀正しい言葉で、なぜ点滴治療が必要かを丁寧に説明してくれた姿を思い出す。救われるという希望を持てた」といい、「今にも死にそうな人に命をひとかけらずつ分けてくれたんだよ」と、娘からの手紙を読み上げた。

> 2両目から救出され、人工呼吸を施された西宮市の鈴木順子さん(35)は「元気でいることが奇跡。命を大切にして生きていきたい」と語った。

> 当時、長谷さんの同僚で、ともに処置にあたった岩手医科大病院の秋冨慎司医師は「残された者として、現場での医療を継承したい」と決意を述べた。
> ***********************

 鈴木俊夫様 いつもありがとうございます。

 鈴木幸一@横浜@ボーイスカウト指導者と申します。

 私事ですが、ボーイスカウトの精神とスキルを活かそうと、平成3年に発生した「長崎県雲仙普賢岳噴火災害」を契機に「災害ボランティア」として活動を続けてきました。

 現在、我が家の倉庫には「災害医療支援隊(DMAT)」等の活動をサポートするためのテント(6張)、発電機、炊飯キット、トイレ等から成る「野外医療支援ユニット」を保管し、年金(62才なので半額)で細々と生計を賄いながら送迎ボランティアや赤十字、ボーイスカウトなどの活動と共に365日24時間体制で備えています。

 平成7年に発生した「阪神淡路大震災」では、5日目に被災地入りしましたが、神戸市役所周辺に野積みされた全国からの救援物資が降雨による水濡れを心配した市役所職員からボーイスカウト姿の私たちにテントを借りられないかという問い合わせがありましたが当時は期待に応えられませんでした。

 また、昭和の時代ですが、全日空機が羽田沖に墜落した際駆けつけた赤十字看護婦が待機中トイレが無くて困ったというのもひとつの教訓でした。

 先のJR福知山線の脱線事故等も、元国鉄職員として装備の拡充に拍車を掛けました。

 「ユニット」の整備には、多くの皆様のお力添えを頂きましたが基本的には個人持ち(武士は喰わねど高楊枝の状態)です。

 現在、迅速な活動に欠くことのできない「輸送用車両」の導入について躊躇していましたが、本日のメールを読ませて頂き「決心」が付きました。

 活動のイメージですが、災害や大事故の発生を知った場合は、「災害救援車(支援ユニット搭載)」を一人で運転し現地入りします。現地に駆けつけたボーイスカウト等のボランティアに「医療支援ユニット」の設置運営について協力を求めます。駆けつけた「医療チーム」に設備を提供する等です。

 今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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